毎日の散歩が、これほど血圧を改善するとは思わなかった。 飼い犬が亡くなってから散歩の習慣が途絶えていたからなのか、だんだん数値が高くなり、上の値が170を超えたときは、さすがに青くなった。
翌朝から20分ほど近所を散歩するようにしたら、忽ち120台に落ち着いて胸をなでおろしたが、私自身も施設の利用者様と同じ高齢者グループなので、同じように、少しずつ頼りなくなってゆく身体に日々向き合っている。もし若いころ、今のような体調や気分だったら、即病院へ駆けこんだであろうと思われるぐらいの状態が日常化している。これが、老いるということなのでしょう。
若い時には、こんな状態は想像も実感もできなかった。老人にならないと老人のことは十分に理解できないとしみじみ思う。妙な言いまわしだが、現在の私は若い方の老人なので、恥ずかしながら、まだまだ人生に欲がある。これから先、齢をもっともっと重ねても好奇心旺盛で、積極的な老人になりたいと願っているが、当施設に通って頂いている諸先輩方を見ているとそういう欲は一切なさそうで、夢や希望を、片鱗も語ることなく、毎日淡々と過ごしておられる方が多い(勿論そういう方ばかりではないことは、十分承知しております)。若輩者?の私としては、その姿勢に少々物足りなさを感じて、お年寄りとは言え、もっと意欲的に生きて欲しい!などと思ったりもするが、果たして自分が諸先輩方と同じ年齢になった時、今と同じ心境でいられるか確信はない。同じ老人でも70歳の老人と90歳の老人とでは、随分と心境が違うと思う。
例えば高校生に「大人は無気力だね~なんか部活とかやれば?友達も出来るし充実感あるよ!」などと言われたとしても、確かにそうだなとは思いつつ、大人には様々事情(時間、身体、生活)があるし、高校生のように部活に没頭したりすることはなかなか出来ないのと同じで、人生の大先輩に意欲的に生きてみては?などと、したり顔で言ったところで90歳や100歳の老人にとっては、青二才のたわごとで、もしかしたら思慮浅い言葉なのかもしれないとも思う。